濁流に乗れなくて
山梨に住んでいた頃は半年に一度行ける原宿が大好きだったのに、上京すると原宿が近い存在になり、商業化で文化が陳腐化、行かなくてもネット上で事が足りてしまうのでワクワク感が減った
だから、世の中が便利になる事はいい事じゃないという社会観みたいなのがあるので虚しい
というツイートを昨日した
どうも世界を見てみると、世の中をより便利にしたい!という会社が蔓延しているように思われる
確かに、世の中を便利にすることは大事だ
例えば、最近はAIがどうのこうのと言われるけど、
AIが診断を行って医師の労働を減らせれば、医師もしっかり働け、患者にとってもよりいい
無駄なもの、人がやらなくてもいいものをシステム化することは、その分、人にしかできないものをより可能にさせるのだ
しかし、原宿が大好きだった身からすると、便利になればなるほどつまらなくなることも分かる
8年前くらい前では、稀に通販サイトをやってる原宿のお店があって、中学生が持てる少ないお金の中で買った
でもそのサイトは品数があまりよろしくなくって、次はどんな商品が出るのかな?といつも心待ちにしていた
それから数年後、eコマースが発達した
原宿のデザイナーの商品をパクって安く売るお店が出てきて通販で売っていた
嬉しかったけれど、なんだかムズ痒かった
これによって、原宿がより多くの人に広まり、手に入れやすくなる、支払いも便利になる
そのことはとってもいいことなのに
一点物の服を掘り出すということに価値を置いていた私からしたら、工場で量産化された服は陳腐なものにしか見えなかったのだ
原宿には未だ素敵なお店はあるけれど、原宿という街全体を見ると昔のような面白みは感じられない
原宿が資本主義に飲み込まれてしまった!
フリルというフリマアプリも楽天に買収されてしまった
しかし、私が大好きだったあの原宿も、実は既に資本主義の中にあった
Zipperという今はなき雑誌
インターネットの中の少ない情報
400円で竹下通りに売られているパニエ
通販サイトを開いている数少ないお店
中学生の財布に優しい服屋さん
あの当時の原宿が自分に合っていただけで、私は取り残されてしまっただけかもしれない
大人はよく、あの時代がよかった、と言うけれど私も同じだ
時代の波に上手く乗れなかった
その時代のニーズや社会の変化に合わせて適合できる人間ではなかった
でも、ゲームはルールがあるから楽しい、そのルールをどんどん緩めて便利にしていったら楽しくなくなるのは当然のことかもしれない
私だけじゃないだろう、こう思う人間は
なんだかなぁ
便利にすることはいいことだと思うけど、それによって人々が幸せになるかはまた別の話だと思う
便利にしつつ、人々に幸福がもたらされるテクノロジーが理想だけど、
便利にした結果、幸福になる人間も不幸になる人間もいる訳だ
やっぱりそうするとマイノリティー側の気持ちは排除されてしまう
老人の方なんて特に、ついていけなくて、寂しい思いをしているんではないか
だからこそ、私は社会をより良くしたいと考えた時、なるべくあらゆる人間が幸せになる便利さを追求すべきだと思うし、マイノリティーへの配慮も必要だと思う
また一方で、時代の濁流に乗れなかった人々は社会に反感を持ちすぎてもいけない
そうなるべくしてなったこの社会を認めつつ、うまーくうまーく自分の心の居場所のようなものを作り上げていかねば
それでも今の社会がおかしいと思うなら、声を大にして言うべきだ
生きづらさっていうのは、時代が進んで新しいものが出てくる時に、ぽっと生じるものなのかもしれない
★補足
@marei_de_pon さんのツイートに
「本が売れない」出版不況と呼ばれる現象には色々原因があるだろうが、以前ある編集者から聞いた、
「読書層を広げるという目的で、いかに無関心層に売り込むかを考えすぎた結果、本来的な価値の低いモノをつくるようになってしまったかもしれない」
という言葉は、他のジャンルにも当てはまりそうだ。
とあったけど、これなんだよなぁ
本当に服好きな層の気持ちを蔑ろに安い服ばかり作って原宿そのものの質が低下
いつか物珍しさを求める外国人観光客しか来ないような街になっちゃうよ、もうそうなりつつあるけど
顧客を増やしたいですとか、世の中を便利にしたいですとか、誰の為の何の仕事ですかって感じだよね
こうして日本は喰われていくんだわ