夢幻泡影

慶應女子大生の呟き

暇、やることは沢山ある

 

人生は暇つぶしだって言った

 

たしかにそう思う

 

暇という白紙をカラフルにする

 

頭では分かってるのに暇暇暇暇暇暇

 

カラフルにしようとしても、暇つぶしであり惰性なので、灰色にしかならない

 

とにかく色々やるんだ、

色んなことをとりあえずやる

色んな人に会う

色んな人の価値観に触れる

 

好奇心旺盛な私なんだもん

 

もっと私の知らない世界が広がっているかもしれない

 

時間が足りない!と思える人生を

 

暇なんて言ってらんない

 

 

 

 

人生は暇つぶし

 

人生とは…とよく人は問うけれど、私の答えは、

 

「人生は暇つぶし」

 

です。

 

これを聞くとネガティブな意味に思われるんですけど、めちゃくちゃポジティブでいい意味でこの言葉を使います。

 

 

そもそも、なぜ生きるか?を考えたら親が生んだからとか、好きなことをしたいとかそういう答えが出てくると思うんですね。

 

親が生んだから、というのはトートロジーになるので一旦置いておいて

 

好きなことをしたいから生きる、とか、家族を養いたいから生きる、とかそういう自分の頭で考えた生きる意味は、あくまで主観的でオリジナルじゃないですか。

 

この世に、肉体として生まれた私達。

この身体という実体、これだけの赤ちゃんだった私達が、自分の頭で考えて生きる意味や、生きる価値を見出していくんです。

 

つまり、肉体・身体というそれだけでは何も意味のないものに対して、私達は意味を付けいてくんです。

 

ナイフは切るために生み出された実体だけど、

人間はまず肉体という実体があり、その実体に~のためだとか、~の意味がある  という価値付けをしていく

 

こういう実存主義的な意味で、人生は暇つぶしと言いたいのです。

 

 

 

白紙状態で、無意味で、無価値で、肉体としてしか存在していない私達

 

その無意味で無価値な状態が「暇」

 

その「暇」をつぶしていく行為=価値や意味を与えること

 

 

社会に出たら、会社の歯車として生きていく訳だけど、

「輝ける歯車」になることが大事だと思います。

輝けるように、自分の価値や意味を見出す努力をする、これが生きるということで、

そうしてその生を振り返った時に、はじめて「自分の生きる意味」が見えてくる

 

この作業の繰り返し、暇つぶしの繰り返し、それが私にとって生きることです。

 

 

だからこそ、私の存在意義は、私の存在意義を探すこと です。

 

 

平成

 

平成に生まれ、平成を「こども」として生きました。

 

今21歳大学4年生です。

来年の春から社会人になります。

 

 

私のこども人生は、感受性豊かが故にそれに振り回されて大変でした。

私はそれを知識と思考で乗り越えようとしました。

それでもやっぱり大事なのは気持ち。

 

悲しすぎる時は人に迷惑をかけてしまうほど悲しむし、

嬉しすぎる時は人に引かれるほど嬉しがる

 

その感情に説明が必要なとき、言葉で説明できなくてモヤモヤして人に迷惑をかける

 

大切な人には面倒をかけたくないけれど、自分で自分として立って生きたいけれど、どうも自分の足で自分を支えられなくて困っています。

 

就活するか院進するか、直感としては答えを出せるのに、頭で考えると答えが出なくなります。だから、考え尽くしたら答えを出すのは直感に頼った方がいいと思うのです。

そして、考えてる最中は「自分の頭」で。人に頼ってはなりません。本や友達に考えてもらう、それは一つの材料。本や友達は私と違う。完全に理解し合えないのです。その境界線を自覚した上で自立し、考える。

 

気持ちに関しては、考えてもどうしようもないことを考えない、というのは難しいのです。自分を責めないような気持ちの持ち方を出来たらいいのだけど、、、。何度も死にたくなって自分を嫌いになって、、、。私は私の恋人だから、私を幸せにする義務がある。絶望しても、人生はそれだけではない。そう分かってるのにどうしようもない。絶望すべき時だけ絶望しろと言っても難しい。そんな時の対処法を私はまだ知らない、友達に思考を頼るだけです。ポジティブポジティブ。

 

令和では、しっかりと立とう。一人でしっかり生きていく。それをより強固なものとする、知識の吸収や思考の仕方をしていく。もう少し、刹那でもいいから自分が幸せになれるような生き方をしよう。直感に頼ろう。勉強しよう。

 

今に満足せず、努力する。

学生を満悦する。

社会人になっても誰かのためになりたいという気持ちを絶対に絶対に忘れない。

不幸になってもそれは不幸じゃない。

 

 

「大人になるとはどういうことか」を高校生で小論文として書きました。その時は、理性を用いるようになること、と書いた気がします。でも、それだけじゃないと今は言えるのです。他者との境界線を自覚して共存し、理性を最大限使い最後は直感に頼って今を選択し、独りで幸福を目指して生きていく。こういう「器用さ」を持ち合わせたものが大人なのかな、と。

 

 

絶対またこれから絶望するんだろうな、令和。

適当に生きていこう。刹那な幸せと欲望的に生きることを!!!

 

 

倫理学が敵になった時

 

 

高校で倫理学に触れた

 

 

そうすると世の中の不思議を解明できる気がした

 

 

小さい頃パパに、宇宙に果てがない  ということを教えられて、考えても想像しても分からなくて、すごく気持ち悪くなった記憶がある

 

 

NARUTOを読んで、自分の存在意義、存在理由を小学校の頃考えた記憶がある

 

 

彼氏に嫌われた時、自分の感情や思考はどうなってるか分からなくて 気持ち悪くなった記憶がある

 

 

世の中はよく分からないことばかりで、苦しくて、分かりたくて

 

 

そんな時に倫理学に出会った

 

目から鱗だった

 

人間はこういうものと考えることもできるよね!日常生活ではこういうシーンがあるよね!

 

みたいに、人間について、世界の見方について学べて、本当に楽しかった

 

 

でも、真面目な私は大学で学んだら闇に落ちてしまった

 

 

「どう生きるべきか」という問いに対して、

 

今の自分はワガママで汚くてダメでどんどん自分のことが嫌になった

 

誰かのために生きられない自分が本当に無理で、殺したくなった

 

 

倫理的に生きることは本当に難しいことで、

 

自分の幸せと両立させながら生きることが難しくて、いつの間にか強迫観念になっていた

 

 

 

 

馬鹿真面目な人が倫理学を学ぶとこうなるのかもしれない

 

感情の有り様で社会の見え方が変わる、ということがありうるのだ

 

ワガママな自分への嫌悪から、ワガママを自覚せずのうのうと生きてる他者への嫌悪、その拡大、ルサンチマン

 

負の感情の原因となる社会へのルサンチマン

 

ルサンチマンは正しく社会を認識した上の産物か、社会を都合よく歪曲に解釈した上の産物か。

ここまで自分の感情をコントロールしながら学問せねば。

イデオロギーと学問は絶対に違う。

 

 

生真面目な人間は、負の感情を抱きやすいのだと思う、それは悪いことではないけれど、もっと社会のいい面を見たり、分からないものを説明する苦労をしないとか、

もっと自分を幸せにさせることで、感情に基づくイデオロギーと真理を明確に区分することが大切だ。

 

 

適当に分からないことは分からないまま流して生きていくのが美徳なのかもしれない

 

 

いつになったら素直に、適当に、なれるのかな

 

 

 

 

 

 

 

憂鬱な春

 

 

スーツを着たまま、友達に連れられてカフェの喫煙ルームに入った

 

 

そうしたら落ち着く雰囲気と臭いに包まれて、一本貰ってしまった

 

 

スーツは元々クリーニングに出す予定だったので、まぁよし

 

二人でパソコンカタカタしてた

 

集中できない

 

 

 

 

最近は、不条理を不条理のまま受け止めることができるようになってきたかもしれない

 

以前は不条理を解明して矛盾をなくすために、議論を重ねて平行線のまま終わってイライラ

 

 

色々と吹っ切れた気がする

 

議論は好きだけど、相手を選ぼう

もっと言葉遣いに気をつけたり、どこまで話したらいいか考えよう

 

 

 

中目黒の桜、見に行かない?と誘われたけど

 

桜が嫌い過ぎるので、断った

 

 

春は色々と寂しい想いをしたから、

なのに前に進めと言われる気分になるから

無理

 

 

そんな無理な中でも、不条理な中でも

 

孤独に生きなくては

 

 

春はそういう季節

 

 

頑張れ私~~~

 

 

2つの勇気とマルクス

 

友達に勇気には2つあると教わった

 

一つは賭ける勇気

 

もう一つは絶望する勇気

 

私は怖くてどちらも出来ないね

 

 

自分がやったことが将来の役に立つと自信を持って人生を賭けられる?

 

無理

 

賭けた結果、それが絶望しうるものでも受け入れられる?

 

 

無理

 

 

 

マルクスは、超極貧生活の中、娘を失った

 

それでも叶えたかったのは、労働者の自由

 

これを実現する為に全人生を賭けた

 

そうして彼の死後、共産主義国が誕生した

 

 

 

ただ、レーニン毛沢東が色々とダメだった

 

マルクスは歴史を分析して共産主義国が次に来ると言ったけど、実際それをどう現実に適応するかは書かなかった

 

 

人生を賭けても、未来の人間に託しても、共産主義の理想は果たせなかった

共産主義国の失敗はマルクスにとって絶望するものだ

 

 

それでも、それでも彼は死んでも死なない思想家として脈々と現代に受け継がれている

 

彼の思想には確実に意味があった

 

だから、完全に賭けに負けた訳では無いね

白黒つかない賭け事の方が現実生活では多いのかも?

 

 

ドイツに行った時、真っ先にマルクスの生家に行った

去年は誕生200年で整備されていて人も意外といた

 

少し崇高な気持ちになった

 

 

私はマルクスにはなれないけれど、

馬鹿みたいに真っ直ぐに賭けて賭けて賭けて賭けて賭けて賭けて賭けて賭けて賭けて賭けて賭けて賭けて

 

そうして死んでやろうと思った

 

 

正しさを創る

 

 

正しいことを客観的に証明しなければ前に進めないという呪縛に囚われた既存プレーヤー

 

どっかの銀行がこんな人間を罵っていた

 

 

狭い視野で捉えた正しさからいかに自由になれるか

 

正解を選ぶよりも、正解を作り出す人

 

 

答えのない状態を楽しめる人

 

 

私、哲学やってるくせに答えを求めて求めて求めて考えてたな

 

考えても何も見つからない

 

周囲から見たらそれが好きなんでしょうと言われたけど、

きっと好きじゃなくて、答え欲しさ故に努力してただけ

考えること以上に、答えを見つけることが好きなんだよ

 

 

 

自己啓発自己啓発、戒め、戒め