夢幻泡影

慶應女子大生の呟き

人生は暇つぶし

 

人生とは…とよく人は問うけれど、私の答えは、

 

「人生は暇つぶし」

 

です。

 

これを聞くとネガティブな意味に思われるんですけど、めちゃくちゃポジティブでいい意味でこの言葉を使います。

 

 

そもそも、なぜ生きるか?を考えたら親が生んだからとか、好きなことをしたいとかそういう答えが出てくると思うんですね。

 

親が生んだから、というのはトートロジーになるので一旦置いておいて

 

好きなことをしたいから生きる、とか、家族を養いたいから生きる、とかそういう自分の頭で考えた生きる意味は、あくまで主観的でオリジナルじゃないですか。

 

この世に、肉体として生まれた私達。

この身体という実体、これだけの赤ちゃんだった私達が、自分の頭で考えて生きる意味や、生きる価値を見出していくんです。

 

つまり、肉体・身体というそれだけでは何も意味のないものに対して、私達は意味を付けいてくんです。

 

ナイフは切るために生み出された実体だけど、

人間はまず肉体という実体があり、その実体に~のためだとか、~の意味がある  という価値付けをしていく

 

こういう実存主義的な意味で、人生は暇つぶしと言いたいのです。

 

 

 

白紙状態で、無意味で、無価値で、肉体としてしか存在していない私達

 

その無意味で無価値な状態が「暇」

 

その「暇」をつぶしていく行為=価値や意味を与えること

 

 

社会に出たら、会社の歯車として生きていく訳だけど、

「輝ける歯車」になることが大事だと思います。

輝けるように、自分の価値や意味を見出す努力をする、これが生きるということで、

そうしてその生を振り返った時に、はじめて「自分の生きる意味」が見えてくる

 

この作業の繰り返し、暇つぶしの繰り返し、それが私にとって生きることです。

 

 

だからこそ、私の存在意義は、私の存在意義を探すこと です。