夢幻泡影

慶應女子大生の呟き

倫理学が敵になった時

 

 

高校で倫理学に触れた

 

 

そうすると世の中の不思議を解明できる気がした

 

 

小さい頃パパに、宇宙に果てがない  ということを教えられて、考えても想像しても分からなくて、すごく気持ち悪くなった記憶がある

 

 

NARUTOを読んで、自分の存在意義、存在理由を小学校の頃考えた記憶がある

 

 

彼氏に嫌われた時、自分の感情や思考はどうなってるか分からなくて 気持ち悪くなった記憶がある

 

 

世の中はよく分からないことばかりで、苦しくて、分かりたくて

 

 

そんな時に倫理学に出会った

 

目から鱗だった

 

人間はこういうものと考えることもできるよね!日常生活ではこういうシーンがあるよね!

 

みたいに、人間について、世界の見方について学べて、本当に楽しかった

 

 

でも、真面目な私は大学で学んだら闇に落ちてしまった

 

 

「どう生きるべきか」という問いに対して、

 

今の自分はワガママで汚くてダメでどんどん自分のことが嫌になった

 

誰かのために生きられない自分が本当に無理で、殺したくなった

 

 

倫理的に生きることは本当に難しいことで、

 

自分の幸せと両立させながら生きることが難しくて、いつの間にか強迫観念になっていた

 

 

 

 

馬鹿真面目な人が倫理学を学ぶとこうなるのかもしれない

 

感情の有り様で社会の見え方が変わる、ということがありうるのだ

 

ワガママな自分への嫌悪から、ワガママを自覚せずのうのうと生きてる他者への嫌悪、その拡大、ルサンチマン

 

負の感情の原因となる社会へのルサンチマン

 

ルサンチマンは正しく社会を認識した上の産物か、社会を都合よく歪曲に解釈した上の産物か。

ここまで自分の感情をコントロールしながら学問せねば。

イデオロギーと学問は絶対に違う。

 

 

生真面目な人間は、負の感情を抱きやすいのだと思う、それは悪いことではないけれど、もっと社会のいい面を見たり、分からないものを説明する苦労をしないとか、

もっと自分を幸せにさせることで、感情に基づくイデオロギーと真理を明確に区分することが大切だ。

 

 

適当に分からないことは分からないまま流して生きていくのが美徳なのかもしれない

 

 

いつになったら素直に、適当に、なれるのかな