夢幻泡影

慶應女子大生の呟き

答えがないと生きられない症候群

答えなんてなくても生きていける、なぜと問わなくても生きていける、

 

でも自分なりの答えがないから生きていけない

生きていけるけど宙ぶらりんな生

 

ニーチェの言う超人には程遠いなぁ

 

 

愛に引き止められてそれが生きなければならない理由、生きたい理由になっている

 

 

「生きる」理由なんてないのかもな、

この問いに答えられるのは超越的な神だけであり、人間が出せる答えは恣意的な「生きなければならない理由」や「生きたい理由」だけかもしれない

 

 

動物が生まれ落ち、死ぬという一連は神のみぞ知るシステムの中の一つの原理なのだろう

その宇宙システムの行き着く先は何かと考えたら、オケアノスであると信じる、信じたい

人間なんぞが宇宙システムの行き着く先、この世の意味なんて問うてはならないんじゃないかなぁ

 

 

人間は世界の駒に過ぎぬのではないか、神の手が創る世界の一キャラクターではなかろうか

そんな人間は自分の立場に怒って、真理を求めるのではないか、人間は主体性を求めているんだ、神に近づきたいんだ、自由になりたいんだ、駒になんてなりたくないんだ

 

神は我々に自己愛と感情を与えた

だからこそ己の立場に怒り、神に近づきたい、真理を知りたいという好奇心が生まれる

科学の発展はこの自己愛こそが原動力であろう

 

 

 

しかし、同時に非主体性、不自由さを渇望するのも人間でなかろうか

 

自由を求める人の立場は不自由である、その逆で自由な人は不自由を求める

真理を知りたくないという欲求もあるだろう、なぜならその時その時に全力になる余り、本質から目をそらし、この世の原理から目を背けたくなることは人間に大いにあることだからだ。

 

生きがいや目的という人生を拘束させる何ものかがないと人は幸福に生きることは難しい、

ゲームはルールがあるから楽しいのだし、生きることは障害があるから楽しいのかもしれない

 

 

 

自由を考える時、何からの自由なのか考えねばならぬ

生からの自由

生まれた以上、生きることそれ自体が拘束か

「was born」は受動態だ

 

運命か

神の与えた使命か